「できないよ」僕は言った。
「できっこないんだ!」
すると彼女はこう尋ねた。
「本当に?」
「うん。自分も誰かに貢献したい!学んだ事、技術で人の役に立ちたい!喜んでもらいたい!ただそれだけなのに……。でもできるわけないんだ」
彼女は微笑んで僕の目を見て、声を落としながら言った。
「ひとつ聞いてもらいたい話があるんだけど、いいかな」
僕の返事を待つことなく、彼女は話しはじめた。
「私は子供の頃サーカスが大好きで、中でも動物ショーがいちばんの楽しみだったの。
特に象がお気に入りだったんだけど、実は私だけではなく他の子供にとってもいちばん人気だったわ。
その大きな動物は舞台に上がると、持ち前のすさまじい体重や図体、怪力をみごとに披露していた。
でも、演技が終わって次の出番を待つあいだ、象はいつも地面のちっぽけな杭に足を鎖でつながれていたの。
ところがその杭というのは、地面に少ししか打ち込まれていないような小さな木のかけら。
確かに鎖は太く頑丈そうだったけど、木を根こそぎ一本引き抜くほどの力を持った動物なら、杭をひっこ抜いて逃げることなど簡単そうなのに……。
その疑問は誰もが抱くものだと思う。
「一体何が象を捕まえているんだろう?」「どうして逃げないんだろう?」
五、六歳だった私は、大人は何でも知っているとまだ信じていたの。
だから象の謎について先生や父親、周りの大人たちに聞いてみた。象は飼い馴らされているから逃げないんだよ、と答えた人もいた。
そういうとき、私は当然次のように質問を返した。
「飼い馴らされているんだったら、どうして鎖につながれているの?」しかし、つじつまの合う答えが返ってきた覚えはない。
時とともに象と杭の謎については忘れ、同じ思い出を持った人に出会ったときに思い出すくらいだった。
数年前、たまたま、その疑問に答えられる本当に賢い人に出会った。
その答えはこうだ。
「サーカスの象が逃げないのは、とっても小さいときから同じような杭につながれているからだ」
私は目を閉じて、生まれたばかりのか弱い象が杭につながれているところを思い浮かべた。
そのとき象は、押したり、引いたり、汗だくになって逃げようとしたに違いない。
でも努力の甲斐なく逃げることはできなかった。
小さな象にとって、杭はあまりに大きすぎた。
疲れきって眠ったことでしょう。次の日もまた逃げようと頑張って、次の日も、そのまた次の日も……。
ついにある日、その象の一生においていちばん恐ろしいことになるその日、象は自分の無力さを認めて、運命に身を委ねたの。
サーカスで見る大きく力強い象は、かわいそうに
“できない”と信じ込んでいるから逃げないのよ。
生まれて間もないときに無力だと感じた、その記憶が頭にこびりついている。
そして最悪なのは、二度とその記憶について真剣に考えなおさなかったこと。
二度と、二度と、自分の力を試そうとはしなかったの。
みんな少しずつこの象のような部分をもっている。
自由を奪う何百という鎖につながれたまま生きている。
遠い過去、一度だけ、子供の頃に試してみてできなかった。
ただそれだけで、私たちは山ほどのことを“できない”と思いながら生きている。
あの象と同じように、記憶の中にひとつのメッセージを刻み込んでしまったのよ。
“できない、今もできないし、これからもずっと”とね。
このメッセージを自分自身に埋め込んだまま大きくなったから、もう二度とその杭から自由になろうとしない。
ときどき、足かせがついている気がして鎖を揺らしてみるとき、横目で杭を見ながら考える。
“できない、今もこれからも絶対にできない”」
そして近寄ってきて僕の目の前に座り、こう続けた。
「これが今の君の状態。小さな頃の記憶に縛られて生きている。もう存在していない自分、できなかった自分のね。できるかどうかを知るには、もう一度全身全霊で取り組んでみるしかないのよ。全身全霊で!」